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ドラゴンに首ったけ28

その28









なんか、王国の魔法衛士隊の隊長がこの村に来ているらしい、ということを、マチルダは村に着いて早々知ることとなった。ド田舎にしては微妙に変な雰囲気が漂っているとはいえ、いかにも辺境の田舎村、と行った雰囲気を漂わせるこのタルブ村においてはここ数日の一大ニュースだったらしく、着いて早々村人に教えられたからだ。ちなみにここ数年での一大ニュースは、どうも竜が近くに住み着いたらしい、ということである。


あの後、アルビオン大陸を脱出したマチルダは、今まで裏家業で培ってきたコネというコネを使って、あの変態マスクマンとアルビオン王国貴族派軍から逃げ回っていた。あれほどまで酷使してしまえば、もはやあの情報網や隠れ家は使用できないかもしれないな、ということも頭によぎったが、テファの安全の前にはそんなものくそのようなものだ。
自分が連中に捕まりでもすれば、テファは一生あの性悪ドラゴンにとらわれ続けることになるかと思えば、その程度の損失なぞ惜しくもなんともなかった。
マチルダの中ではもはやブラッドは極悪人で確定していた。

そんなかいもあって何とか手紙に書いてあった連絡先であるここ、タルブ村まで連中に捕捉されることもなくたどり着けた。神出鬼没、先日まで確かに別の場所にいたはずなのに当然のようにこっちを追ってくるあの神出鬼没で変な仮面男はさておき、貴族派軍は指揮系統というものがあるため個人で動くマチルダよりも動きが遅かったことが幸いして、なんとか巻くことに成功した。
まあ、おそらく相手もこっちの目的地は知っている筈なので、この村に潜んでいるであろうテファとの連絡員とつなぎをつけるのに、それほどだらだらとしているわけにも行かないのは重々理解していたが。


まあ最悪、相手との連絡が付くまで数日間はこの村に滞在することになるかもしれないと今夜泊めてもらうことになっていた村人に愛想良く受け答えをしていたマチルダだったが、どう考えても先ほどの情報が歓迎すべきことであるとは思えなかったのは仕方あるまい。何せ自分はトリステイン王国やアルビオン王国の貴族という貴族をコケにした怪盗「土くれのフーケ」なのだから。国のお偉いさんには常に負われる脛に傷持つ立場である。警察と軍隊の両面を持つ魔法衛士隊の隊長となればなおさらだ。

どうやらその隊長さんとやらは村長の家に泊まっているらしいので、出来る限り近づかないでおこうと心に誓う。

ぺらぺらと愛想良くしゃべる村人とは対照的に、そんなことを胸のうちで誓っていたマチルダだったが、怪盗なんて職業をやっている職業病なのか耳はおしゃべり好きらしい村人の話を一言一句聞き逃すまいと働いていた。


「いや~、おたくのような美人が来るのは初めてですが、それでも最近はこの村に訪れてくれる人も増えましてねえ。今急いで宿に出来るような施設を村人総出で建設してるんですわ。なにせ最近は傭兵やらメイジやら軍人さんやらの多いこと多いこと」
「へえ、そんなに最近は人が多いのかい」


確かに、この村の住人に泊めてもらえるように交渉しても、すでに人がいる、と断られることが多かった。街道を見ても、せいぜい人口が数百人いればいい程度の規模であるこの村にしてみれば、不釣合いなほどの頻度で人とすれ違う。それも、一見して村人ではなく戦いを生業としているであろうような者が多い。この辺境の村がここまで人通りにあふれている、ということは半壊したラ・ロシェールの近くにあるということも含めても、やはり竜のせいなのだろう。
村人自身もそれを自覚しているのか、続く言葉には竜に対することが言及された。


「ええ。大きな声ではいえませんが、どうもあのドラゴンの巣って奴がこの近くにあるらしいですわ。巣なんかに入って何が嬉しいんかは知りませんが。それを狙ってか柄が悪いのも入ってきたりもしますけど、それでも村がにぎわうってことは歓迎すべきですねえ」 


ラ・ロシェールから町を壊されたことによる難民が流入しているというのもあるのであろうが、それ以上に復讐者や一攫千金を狙う傭兵が村を訪れてきているらしい。
なんだか竜が来たことを喜んでいるような口調の村人に違和感を覚えたマチルダは、さりげなくその方向に水を向けてみる。それに対して村人はあっさりとそのことを肯定して見せた。


「竜がいるんだったら、魔物とかも出たりするんじゃないのかい?」
「それが、以前はそうだったんですけど、あの竜に貢物を支払うようになったらぴったりと。貢物をはらわにゃならんとはいえ、村は賑わうわ、金さえ出していれば安全が買えるわ、ドラゴン様様って感じですわ」


確かに竜が現れてから、南方地方では妖魔や亜人による被害を聞くことが少なくなった、とマチルダは思いだす。もともとそれほど頻繁に起こることではないが、それでも以前は一月に二人から三人程度は被害にあっていたはずだが、道中においてもあまりそういった話を聞かなかった。
まあ、竜による虐殺が数百人単位で起こっている以上、話題に上がらなかっただけかもしれないが、あの竜を亜人たちも恐れているのかもしれない、と脳内のメモに書き込むマチルダ。


ちなみに、この周辺ですでに現住していた魔物すらいなくなった理由というのは、なんていうことはない。資金不足を少しでも補おうと、一部メイドが周辺の魔物を掻っ攫って商会に売り飛ばしているだけである。あんまり魔界では見ない種類の魔物もいるということで、本業に比べれば微々たるものであるが、それなりの売り上げを伸ばしていた。

さらにメイドの中には他にも、いろいろな商売に手を出している。何せ彼女らからしてみればこのあたりはド田舎でもいいところである。しかも、独自の商品を多数に算出するというおまけすら付いている。
あちらの世界では単なる日用品に過ぎないものが、こっちでは非常に高価なものとして珍重される。その逆もしかり。商会に本格的にばれれば大規模なこの地方への魔族や竜族の介入を招く可能性があるので細心の注意を払ってではあるが、クー以下メイド達はブラッドの協力者として最大限の努力を常に払っていた。
武器や防具についてはメイド個人が売り上げて広めるのは危険性のほうが高いためクーが一切の流通を禁じているが、その結果として日用品についてはそれと竜との関連性に世界の誰一人にも気付かせぬまま、ひそかな改革が今この世界では起こっていた。

最近では、ブラジャーなる婦人用胸あてのトリステイン王国での普及を目指している。上流階級の貴婦人に夜の小道具としてひそかに売り込んだり、あるいは肩こりに悩む労働者階級にこっそり口コミを広げたり。その甲斐あって、王都では男性陣の嘆きと引き換えに、わずかずつにではあるが普及しつつある、という報告をクーは受けていた。それを監督許可するクーとしても胸に関することにはいろいろ複雑な思いがあったりはしたのだが、商売人はその程度ではくじけないのである。
まあ、本編にはあんまり関係ないことなのでどうでも良いといえばどうでもいいのであるが、割とブラッド一味はトリステイン王国の生活の向上のために貢献していたりもしていた。


が、このような事実も一般には広がっていない以上、マチルダがいま聞いたような竜に感謝しているこの村のような存在などごくごくわずか、全体の平均としては絶対にこんな村ばかりではない。
マチルダも先ほどの話を聞いて、王国からの税に加えて竜に対する税まで生じたことで財政的にかなり厳しくなっている村がほとんどであろうと思った。それでも、この村にしてみれば旅行者が落とす金で十分それをまかなえる以上、竜がここに住み着いていることはプラスなのだ、と改めて一応竜を討伐する側に身を置いていたマチルダは思い知らされた。

胸の奥で何かが蠢きを始めるような感触を感じながらも、マチルダはその考えを脳裏から捨て去った。自分がここに来たのはその王国の隊長さんのように暴虐を振るう竜を退治するために来たというわけではない。
誰よりも大切な自分の「妹」を助けに来たのだから。

そのため、マチルダは「竜にとらわれている筈」のテファと連絡を取る手筈が整うように思って村人に対して適当な相槌を打ちながら、時が満ちるのを待った。






つい先ほど厨房から持ってきた、フレンチにローストしたての物体をケースの中へと収める。きっちりとふたを閉めて、専用のグラインダーの中にそれを収めたクーは、機会の股の間に四角い本体を挟みつけてそのハンドルをしっかりと握って、ゆっくりと、しかし手早く廻してそれを粉砕し始めた。
ぱらぱらと、一般のミルとは精度の違う細かさで砕かれたそれが、すでに竜の間の隣に位置する執事室の中一面にその特徴のある刺激的な香りを広げる。いろいろ試行錯誤してさまざまな工房の品を取り寄せた結果としてようやく満足を得ることが出来たグラインダーの中に、ごくごくわずかな量ながら、完全に粉砕されたそのものが溜まっていく。
わずか二、三回分程度の量にしかならないであろう分量までたまったところで、ようやくクーはその手を止めた。


「うん、ぴったり、っと」


グラインダーの中を覗いて望む分量のものが望む精度で挽かれていることを確認したクーは、その中身をメジャースプーンに別のスプーンで詰め込むような感じできっちりと一回分だけ図っていく。ここでのわずかな量の差が最終的な結果を大きく左右するのだから、手を抜くわけには行かなかった。クーはブラッドの前では決して見せない真剣そのものの表情で、きっちりと一杯分の粉を量りとった。

かつて商会で研修を受けていたころはどうしても面倒になって大雑把に量ってしまい、ずいぶん教官にしかられたものだが今はそんなことが懐かしく思えるほどのときが経過している。憧れだけを胸に目標も定めぬまま技術だけを身に付けていたあのころとは、愛する主がいるという決定的に違うことがある。



何をクーがこんなに真剣になってやっているかというと、なんていうことはない。ブラッドの求めにこたえて、コーヒーを入れようとしているだけである。

……料理できないのにそんなことをやって大丈夫か、とか言ったそこのあなた。頑張ってやり方を覚えた可愛いクーに今すぐ謝りなさい。
そもそも、主に出すための料理というのは貴族や王族、そして竜族の屋敷においては料理人が行うことであって、執事やメイドの仕事ではない。人として料理ぐらいは出来ておいてほしいよね~、という男の子の夢はさておき、料理というのは執事であるクーが持ってて当然な技能ではないのだ。

が、お茶を入れる、ということになると話は別だ。持っててもおかしくない技能である。無論、料理人が入れる場合もあるが、厨房というのはいろいろと異論もあろうと思うが一応「下賎にして神聖な」場所、ということになっているので基本的に主の部屋からは遠い。加えて、使用人たちの食事も作るとなると使用人たちの生活スペースの近くにある食堂に隣接させることも多い。よっぽどの田舎や小身の貴族ならば使用人と同じテーブルに着いたりもするらしいが、ブラッドほどの大身の特権階級の家であれば大概きっちりと分けられている。
である以上、一級厨房と二級厨房というように、使用人用と主用の厨房が分かれている家においては主の生活線からは隔離されてる、という条件をつけて例外的に両者の間が近い場合もあるが、ブラッドはそんな面倒を嫌っているのでこちらの巣でも、あちらの巣でも厨房は竜の間からはただ単に遠い。

結果として、主に冷めたものを飲ませることを良しとしない、「お客様を第一に!」をモットーとするギュンギュスカー商会は、商会内で任意参加でお茶の入れ方などの講座を定期的に行っている。同様の理由で料理を保温するためなどの魔法の講座もあるが、使い道が限定されすぎているので基本的に厨房担当志望のメイドぐらいしか取らない。
まあ、どっちにしても休暇を使って参加させる物なのでとらないものも多くいるが、その手の資格は取れば給料が若干上がったりもするのでクーはそれを以前のマッサージ同様一応受講してバリスタ(巨大弓ではないほう)の資格を取得していた。
結果として、得意料理が生卵とサラダの彼女であっても、一通りの飲み物は大概おいしく淹れられる。というか、むしろそれが出来るのに料理できない彼女がおかしいだけである。要するに、味付けをするもの―――魚を捌くとか、カニを茹でるとか、カップめんにお湯を入れるとか以外―――がまったくもってダメダメなだけである。
そう、クーは味覚のストライクゾーンが異常に広いのだ。途中で味見をするとどんな料理でもおかしくなってしまうほどに。



……まあ、そんな話はさておき、今から淹れようとしているものはノンアルコールのものの中ではブラッドが最も好む飲み物にして、彼女の十八番である。

抽出用ケースの中の特注のフィルターバスケットに向けて、同じ工程で作ったもう一種の粉を混ぜて作った新たな粉をしっかりとした力でタンパーを使って押し詰めたクーは、こちらも厨房から取ってきていた冷やしたミルクと水をこれまたきっちりと分量を量って取り分ける。
水魔法の応用で作り出した先ほど計った抽出用の水とは別に取り分けた水で作った、低めの温度の蒸気の中に量りわけたミルクを入れてスチーミングしていく。


「ふ~ん、ふ~ん、ふ~ん」


思わず鼻歌が出ているが、本来であれば結構高度な魔法である。少なくとも水の属性であっても魔法薬の調合を専門としているモンモランシーには使えまい。
そちらの方に常に意識の一部を割きながらも、意識の大部分を使って新たな魔法を発動させる。今度は残った水蒸気に対して圧力と熱を加えていくのだ。どんどんと高まっていく蒸気をさらに加速させ、大体大気圧の十倍近い圧力まで押し上げたところで、針の穴を通す精度でそれを操り、バスケットの中に敷き詰められたコーヒー粉に向かって押し進める。
その高温高圧の蒸気は完全に方向性を制御されて、豆を蒸しながらその細かな粉を押しつぶし、やがてフィルターをも通り抜けて一滴の暗褐色の液体をカップの中へと落とし込んだ。


彼女が作っているのは、本当においしいものに出会えるかどうかはさておき、現代日本においてみれば珍しくもなんともない飲み物、カプチーノである。高温高圧の蒸気を使って蒸しながら細かく挽いた粉の中を通した液体に、たっぷり泡立てた甘いミルクを入れて薫り高く深い味を楽しむそのコーヒーは、現代科学の技術さえあれば作ろうと思えば家庭で作ることが出来るほど身近なものだ。日本人であるサイトも一度くらいは飲んだことはあろう。

が、それはあくまで機械文明が発達した世界においての話。電気もガスもないこの時代において、高温高圧の水蒸気を自在に操る技術を必要とするカプチーノ―――正確にはエスプレッソとそれから派生する各種レシピは非常に困難なものである。直火式エスプレッソメーカーにしても、寸分狂わぬ精密な金属加工技術が必要であるし。

クーが使用しているものなど、水と熱と大気の三種類の魔法の行使を必要とするものであり、そんじょそこらの攻撃魔法よりもよほど優れた魔力の制御能力を必要とする。要するに、一杯入れるだけでもハルケギニア世界で言うところの風を主属性としている上に水と炎も一応使えるという高レベルの熟練したトライアングルメイジが必要である。
ちなみに、コーヒー豆自体はこちらハルケギニア世界ならばさておき、あちらの世界ではそこまで貴重品ではなくそこそこ昔からあるものであったが、このエスプレッソ、という飲み方が作られたのは大体今から50年ほど前と比較的最近のことである。あるコーヒー狂いの宮廷魔術師によって編み出されたこの秘法は、扱えるものは王侯貴族御付の魔法使いぐらいしかいないほど高度のものであった。そのため、かつてクーたちがいた前の巣のあった世界ではこの深い暗褐の色あいの液体は、「王国貴族のコーヒー」と呼ばれていたほどだ。
そしてそれゆえ、これを淹れる役目だけは料理万能の獣人の少女、ユメ=サイオンが巣に来てからもクーの役目だった。彼女はクーほどの高レベルの魔力の行使が出来ないのだから。


正直そこまで飲み食いに心血を注がない種族であるクーは、この製法をはじめて聞いたとき人間とはたかが飲み物のためにそこまでやるか、と半分呆れ、半分感心した覚えがある。
だが、今ではその気持ちも分かる、とクーは魔法の行使に最大の注意を払いながら、横目で部屋の片隅に置いてある手動の「エスプレッソ・マシーン」をちらと眺める。
これまたあるコーヒー狂いの鍛冶師が何とか噂に聞くエスプレッソを平民である自分が飲むことは出来ないか、と十年ほど前に必死の試行錯誤の末に作りあげたものである。この器具によって、今ではエスプレッソやカプチーノ、カフェ・ラテを淹れる事は最下級の炎系魔法や安価なマジックアイテムがあれば出来るごくごく簡単なものになった。まあ、この器機自体が魔法的なものによって一品一品作られているのでそこそこ高価なものなのだが。
クーも自分で飲む時にはこの機械を使用している。なんと言ってもセットしてレバーを引きさえすれば額に汗を浮かべて神経をすり減らして魔法を行使する必要もないのだ。


が、ブラッドにエスプレッソを求められたときだけは、それでは駄目なのだ、とクーは思う。
そんな考えの間にも今日の気温や豆の風味にあわせて、手を翳して機械では出来ない微妙な操作を蒸気に加える。高位魔族であるクーが手ずから魔法を行使するほうが、たかが人間が作った機械の操作で出来る範囲の調整よりもおのずから高水準になるのは考える必要もないごくごく当たり前のことだからだ。

最高の主には、最高のものを。

口には出せないが強い信念としてそれを持つクーは、ブラッドに淹れるときだけは自ら細心の注意を払って飲み物を淹れるために使用するとは思えないほど大規模な魔法行使を行っていた。戦闘において彼の役に立てないクーだが、こんなときは人に比べて膨大な魔力を有する魔族でよかったと思う。情報処理や商会との交渉のみが己の役目であるなら、別に魔族である必要はないのだから。


そんなことを考えながらも、精神の大部分は一瞬の揺らぎもなく魔法を行使して、時間にして一分にも満たない時間が経過する。こうしてクーは細心の注意でショットグラスの半分ほどに極上のエスプレッソを淹れきった。
表面にわずかに泡立った細かな泡で、タイガースキンの模様が浮かんでいることからもそれが最高の出来だということが窺える。

それをまたきっちりと分量を量ってカップに魔法で移動させる傍ら、蒸し終わったミルクをくるくると二、三回転させて渦巻かせてなじませ、とんとん、とテーブルにぶつけて大きなあぶくを潰していく。それが終わると、スチーミングピッチャーからクリーマーに移し変え、糸巻きのようなツマミを持って蓋を押さえる。そして、その上部についている球状のツマミをもって内部の仕掛けを上下させ、手早くスチーミングである程度は泡立っているミルクをさらに細かく泡立てた。泡が立ったミルクを、泡を消さないように再びピッチャーに移し変える。


「よしっと、後は……」


そして、カップに移されていたエスプレッソに向かって、ゆっくりとミルクを注いでいく。普通のバリスタであればここでミルク捌きとほんのちょっとした細工でハートのマークなどでもカップの上に描く。
上手に入れたカプチーノはその上の泡に絵を描けるのだ。逆に言うとうまく淹れないと描けない事からこんなに気を使ってあなたのために淹れた証拠として絵を描きますよ、と淹れ手であるバリスタから相手に対する好意を表す意味があるとも言われるそれを今回のカプチーノの上に浮かべることは、クーにとっては造作もないことのはずだった。

だが、きっちりと分量を量ってまで淹れられた極上のカプチーノには、絵や模様というほどのものはまだ何も描かれていない。どうしようか、と悩んだクーだったがいつもどおり淹れ終わるまでには決心がつかず、今日もカップの上には同心円状に輪が広がっているだけである。
あとは一本線を引くだけでほんの些細な、愛ともいえない程度の好意の証が完成するのに、その手が動かなかった。そんなことすらできなかった。


そんな自分にため息を一つ吐きながら、心も迷いを打ち消すためか輪が多少乱れるように、それでも丁重に自らが込めて淹れたコーヒーにブラッドの好みの甘さにまで砂糖を入れて、その顔に笑みを浮かべたクーはブラッドのもとへと運んだ。


「御主人様。コーヒーが入りましたよ」
「ああ、ご苦労だった」
「いいえ。仕事ですから」


ここまで掛かった時間はいろいろな道具の準備も含めればおおよそ3分強。発動はさておき制御に多大な力を使うので、使った魔力は大規模魔法一回分にも匹敵する。
だが、これがそんなに手間隙かけて淹れられたものだということをブラッドは知らないし、クーも知られて良いとは思わない。自分のやっていることが例えわずかであってもブラッドの心理的負担になることなど望むわけがない。

その結果として、クーが誠心誠意を込めて入れたカプチーノは、わずか五口でブラッドの口の中に収まることになった。


「クー。御代わりを頼む」
「もう、またですか?」


それでも、一口目を口に入れた瞬間に主がいつもどおりの笑みを浮かべたのを見たクーは、今日も幸せを感じていた。




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プロフィール

基森

Author:基森
蚕鳴や円禍と名乗ってたこともあります。

主に小説・ssなどを置いているブログです。

自前の本棚を持つのは初めてなので手探りでやっている程度のものですが、わずかばかりの暇つぶしにでもなれば幸いです。


メールは「kulukku106☆yahoo.co.jp」まで、☆を@に変えた上でお願いいたします。

そろそろ、非営利にならトップへのリンクフリーとか言ってみたり。

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