スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

昔歳(ランスクエスト)

たまには昔の話でも。











荒れた大地。視線を走らせれば時折何が潜んでいるか分からないような大穴と醜く開いた亀裂が走る、そんな大地だ。
僅かばかりの言い訳のような雨さえも無残に吸い込んで吐き出さない貪欲さがそのまま表に出たようなそんな砂礫と石と乾燥した死骸と褪せた色の植物の残滓。
全体的に暗褐色で染まったそんな光景は、その場において農業だの酪農だのといった生産的な行いの一切を拒絶していた。

その場が望むのは緑の囁き、小川の微笑、生まれたての生き物の色濃い息吹などではない。
死と、血と、鉄。
戦いこそが、この世界の全てが望むものだった。


だからこそ、その光景のとおくから突如響いていた音を巻き起こしている現象ももはや定められきったものである。
拭き落ちる疾風に枯れ草や何かが倒れる音がして、白骨の欠片と塵芥がまるでそういった生物でもいるのかのように走っていった。

そんな中、煌く鋼の輝きが目に刺さる。


「ぐふっ………うぅ」


剣戟。次いで苦悶、嘲笑。
飛び散るのは血潮と汗と埃と唾液と胃液。
その場に香るのはいくつも重なった死臭と臓物と糞の匂い。
どれも、自分の仲間を呼んでいた。


「ふん、お前、確かランスとかいったか。その程度の腕前で俺に逆らおうなぞとよくも思えた物だ」
「くうっ、お前なんぞが名でよぶなっ!」
「大口は相手を見てたたくんだな」


そんなど真ん中で少年と男がお互いに武器を交わしていた。
それも、訓練や鍛錬といった性質のものではなく、紛れもなく相手を傷つけて己の我を通そうという本気の戦いだった。
振り下ろされる剣は相手の死を望み、それを受けて返す刀で放たれた突きは相手を地面に転がして血反吐を吐かせること以外の全てを拒絶していた。

しかし、男の体格がかなりの大柄な成人男子位はあるのに対して、少年のほうは未だ発達しきっていない四肢であった。十を数えたかどうか……実際の年齢差は倍では効くまい。
つまりそれは、その分だけくぐってきた修羅場の数という名の戦闘経験が圧倒的に違うということを意味していた。
素質では男を凌駕しているかもしれない少年だったが、それが未だに開花していない現状においてはそんなものなど何の役にもたちはしない。
かろうじて少年に振るえる程度の大きさの剣の軽さは、ごく普通のロングソードより短いもの。当然ながらそれはいまだ力の足りない少年でも扱える取り回しのよさと引き換えに威力の欠如につながり、男に軽く捌かれる。

その結果として当然少年の力は男に及ばず、圧倒的不利な情勢に押し込まれていた。一撃に載せられる重みの無さは、相手に与える威力を足りさせず、自分に向けられた攻撃を捌くにもまた足りない。
そして、この少年はそれを覆せるだけの「何か」別のものを持っている、というわけでもなかった。
ならば、結末は分かりきっていた。


「ふんっ」
「がぁつ!」


やがて、必死にかわしていた少年に終末の時が来た。
上から振り下ろす一撃目は何とかかわしたものの、返す刀で跳ね上がった下段からの攻撃をかわしそこねてしまったためだ。
小さな肉体を男が手に持った鉄杖でしたたかに打ち据えられ、それでも剣を放さないようにしながらも少年は吹き飛んだ。
 
相手は領主の館に勤める者である。ランスと呼ばれた少年は知らないが、その男はその中でも音に聞こえた剛の者だ。
しっかりとした地位すら持っていない少年なぞ当然手も足も出ないはずの相手であり、本来であれば出してはいけない相手である。
その地位の差異は、そのまま両者の戦闘における力量の違いをそのまま表していた。
位階の違いは決して常に戦闘力とイコールで結ばれるような絶対的なものではないが、それを考慮することは基本的にこの世界においては正しい。
故に、二人の間には隔絶した力の差というものが身分と戦闘の両方において聳え立っていた。

だからこそ、その男が少年に放った一撃の醜さがよくわかる。
それは、相手を殺そうというのでもなければ、怪我をさせずに戦闘力を奪おうとするものでもない―――それを容易く可能とするだけの力量を前提とするならば、それはただ純粋に相手を嬲って楽しもうという下種さの出た一撃だった。

しかし、そんな中途半端な醜い一撃にさえ耐えられず、少年はあっという間に敗れ地面に這いつくばっていた。
ほとんど障害にすらならない自分の弱さを少年は内心で自嘲する。
鼻の奥がつんとする感覚とともに瞳を水が覆ってゆく。
地面に水滴が落ちると共に自分の無力さを嫌というほど思い知らされた……くやしい。

 いつもそうだ。

 自分は弱い。

いつも大口をたたくものの、実際にはその口にした十分の一もはたせやしない。
この間口にしたことだって、周りと運に助けられてようやく何とかしたようなものだったと思い出す。
自分はあの男を殺せるほど強くなれないのか、そんな諦めのような感情が胸によぎる。
それでも、自分は倒れるわけには行かないと、その手に持った魔剣を杖にして必死の思いで立ち上がる。
だが、四肢が萎えるかのように力が抜けていき、このままはいつくばっている方がどれだけ楽なのか分かるだろう、と自分に対して敗北を受け入れるように誘惑の吐息を投げかけてくる。


「ふん、もう終わりか。まあいい。あの女を確保した後に存分に嬲ってやるからそこで待っていろ」


が、そんな感情もその相手が少年を鼻で笑い、倒れている女性に向かっていくのを見た瞬間まるで水が沸騰する瞬間のようにあっという間に反転した。
自分の思考の中から傷の痛みと戦い続けた疲労があっという間に抜けていく。
消え去ったわけではない。それでも、それら全てを忘れさせるだけの衝動に彼は恐れおののき、怒ったのだ。

        その人にだけは………触れさせない。

薄い布一枚を身にまとったその女性は男の最初の一撃で気を失っている。
男を倒すことは無理でも本来であれば逃げるくらいは十分出来るはずの力を持っているはずの女性だが、その性質ゆえか相手に危害を加えることも出来ず、すでにあっさりと倒れてしまっている。
見目麗しいその容姿を蹂躙することを期待してか男が少年に背を向け、大股で彼女の元へと歩いていったそれを見た瞬間、それまで指一本動かせないと思っていた少年の体は怒りによって巡った血が全身に回ることであっというまに力を取り戻す。

その原動力は、限りない憎悪。
その男に対してだけではなく、己の無力さに、誰も助けてくれない慈悲のなさに、こんな環境に陥っている現状に、それを許容する世界の全てを恨み憎み怒る。
その憎しみだけが少年の体の中を巡っていき、それはやがて内に眠る力を無理やりくみ上げて外に引き上げていった。


「ま、待て……」


剣を杖にして立ち上がるが、相手はまたも鼻で笑うだけだ。向けた背を返そうともしない。
先の戦いで全てを見切ったときとそのままに、もはや少年には何も出来ないと思っているのか、歯牙にもかけていない様子であるが………いまや少年にとってもそれは同じだ。
怒りは、彼の体に幻想ではない力を与えているのだから。

 おまえごときがそのひとにふれるな

少年は思考とともに戦闘法を今までからはっきりと切り替えた。
目に焼きついた憎い憎い男の動き。それを自分の小柄な身体で使用できるように無意識に微調整しながら忠実にトレースする。
決して使いたくなかった、使うべきではなかったこの動き。
しかし、その効果は今までの戦いで十分知っている。十分すぎるほど、知り尽くしている。

これに頼ってしまう自分が情けなく愚かであり、愚かだと知っていながら頼らざるをえない自分に怒りが宿る。
そしてその自分に対する怒りと相手に対する憎しみが、いっそう剣に力を込めることとなり、自分の低いレベルでは本来であれば使用できないはずの『必殺技』を、そのための体勢を完全に再現する。
それはあまりにも唐突で、しかし完璧なまでの戦闘法であった。


「オオオオオオォォォォ!!」
「なっ!」


数メートルはあった間合いを一瞬にして消し去り、飛び上がって剣を振り下ろす少年。
その速度は、先の戦いのものとはまるで別人のような力が伴っていた。

突然現れた死の具現に、男は慌てて全身の筋肉を総動員して防ごうとする。

油断はあった。侮りはあった。
が、そんなレベルでは説明しきれないほど唐突な相手方の戦力の倍化は、歴戦の兵たる彼に対してそんな焦りを感じて必死にさせるのに十分なものだったのだ。

足首から力を登らせ、腰を捻る。怪鳥のように飛びかかってきた少年の行動を阻むにはあまりに遅い動きだ。
それが自身にも分かったのだろう。男の顔がおもわず引きつる。
だが、それでも習い覚えた技を、積み重ねてきた経験を、必死になって発揮して何とかその必殺の一撃を防ごうとする。それは、急ごしらえ名少年の動きとは異なり紛れもない熟練を感じさせるものであった。
腰の捻りを大胸筋に伝わらせ、その勢いを殺さないように反動として利用して、腕を振り上げる。

だが、そんな熟練や経験などでは、その剣の前ではまったく足りていない。

黒く輝く殺意の剣が、頭部に迫る。ありえないはずの冷や汗が流れる。
跳ね上げた腕の力を出来る限りロスさせないように肘の関節、手首の関節に伝わらせ、思いっきり捻る。限界を超えた無理な動きに男は引きつるような痛みを感じた。だが、そんなものなど今はかまっていられない。この唐突な殺意は、それを可能とする必殺は、あまりにも驚異的なものだ、その焦りだけが彼を突き動かす。

しかし、それは何とか間に合った。限界を超えた焦燥は、それに突き動かされた無駄で無様な挙動は、そのかいあって目の前にまで来ていた剣と己の頭部との間に何とか杖を割り込ませることに成功した。
見くびっていた相手に一刀の元切り殺される、という最悪の結果だけは防げたのだ。


「おおおおおお!!」
「く、クソがぁ!!」


が、重い。防げた、と笑みを浮かべる余裕もない。
先の一撃とはまるで違う、超重量と超加速を片腕で、しかも無理な体勢で受けることになった男は、もはや直撃を食らったかのような片腕の傷みを必死になって押し殺し、力を込め続ける。
握り締める握力が徐々になくなっていくような予感の中、徐々に剣が彼の瞳に近づいてくる。死が、迫る。
ただ、逃亡者を始末するだけの簡単な仕事。彼の身分や力を考えれば、ほとんど遊びのような仕事だったはずなのだ。なのに、どうしてこんなことに! 脳裏によぎるのはそんなせんのない愚痴だった。そんなことしか考えられないほど追い詰められていた。
あと、五センチ、三センチ、一センチ。瞳が血走る。歯を食いしばる。喉の奥から声にならない声を絞り出す。
全身全霊を使って、彼は己の命を保とうとする……そして、それは報われた。
そこまでやって、ようやく止まった。

落下の勢いを借りて放たれた一撃は、当然ながら位置エネルギーを威力に変換しきった瞬間が一番強く、後は弱くなる一方だ。
最初の一太刀で決められなければ、体格にも力にも劣る少年ではそれ以上の一撃を放てるはずがない。だから、これは当然のことなのだ。
さきほどもそんな思い込みによって思いもよらぬ攻撃をされて死地へと陥ったにもかかわらず、そんなことを考えてしまうのは今まで重ねてきた経験がゆえの過ちか、それとも愚かさか。
とにかく、徐々に少年の剣は力を失い、それに伴いかけられる力も弱くなってきた。


「焦らせやがって……っ!」


故に彼は、ようやく先ほど被っていた余裕という名の仮面の帯に対して手を伸ばそうとして少年の瞳を見据え、そして気付いた。
瞳の奥に篭る殺意の色が何一つ変わっておらず、それどころかこれからが本番である、とでも言わんばかりの力を帯びていたことに。
瞬時に彼の背筋が総毛立つ。まだだ、まだ終わっていない。
まっすぐに振り下ろされた剣を杖で止めることが出来た。それは、己の命を救うには何の役にも立たない。今この瞬間、このガキを殺さなければ、己の命が危ない。

先ほど迫り来る剣を見据えたときよりもなお強くなった感覚におもわず己が鍛え上げた技を全力で、後の余力などまったく考えないで、彼は必死になってその技を放とうとして……間に合わなかった。


「うおぉぉぉ!! ランス、アタック!」
「っちぉ」
ぶしゅ!


少年が入れた気合と掛け声とともに爆音がはじけ、相対していた男が崩れ落ちる。止められた剣の威力も、それを維持する杖の力も、全てを無視してその爆音は当たりに響き渡った。そして、それですべてが終わりだった。
先の戦闘を考えるに、あまりにもあっけない決着だった。
受けていた杖が突如巻き起こった爆発の直撃を受けて粉みじんになって吹き飛んでいき、その勢いそのままに赤黒い波動にその頭部を、肩を、腹部を、足を、全身飲み込まれた男。
やがて、残骸と荒い息の少年だけが残った。

ランスアタック。闘気を剣に集中して直撃と同時に爆発させるという異能。
防御も、回避も許さない。止めようが、避けようが、全てを飲み込む一撃必殺。
地上において最強の必殺技の一つといえるその技は、その力量差も経験の差も地位の差もまるでなんでもないことのように飲み込んで、少年達の追っ手であった男を一瞬でミンチにしたのだ。
女性に向かって進んで、少年に背を向けるなんてことをしていた男に後悔や驚愕といった感情を浮かべる暇すら与えずに。
自分よりも遥かに格下の相手に一撃で殺されるというありえない状況を作り出したのだった。

たった一つの技だけで、地位の差も力量の違いも経験の歴史も全て意味をなくして、その立場を一瞬にして逆転させるという現象が起こったのだ。
それは紛れもなく、異常な光景だった。






「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ」


荒い息を吐きながら、少年は今のレベルでは本来使えぬ技を無理に使ったことで肉体に生じた反動を必死で押さえ込む。
持ち主の憎悪を食らって力を振るう魔剣の助けは、あくまで一時的なものだ。彼自身の力が足りていない、未だに未熟だ、ということには何も変わりはしない。
だからこそ、無理に背伸びをすれば当然ながらその直後に反動がくることは分かりきっていた。
それでも、彼はそれに頼らなければ勝てなかった……生き延びられなかった。
その事実を、この苦痛により彼は誰よりも思い知っていた。

貪るように空気を摂取し、辺り一帯の気を吸い尽くすようにして集めて、失った体力と気力を少しでも回復するように努める。
こんなところで時間を食っているわけにはいかない。すぐに逃亡に移らなければ新たな追っ手が来てしまう。
彼らはお尋ね者だ。この世界において、安全な場所などどこにもないことは確かだが、それでもこんなだだっ広く見通しのよい隠れる場所のないような場所よりも比較的安全な場所はある。自分が打倒した男からの連絡がないことを不審に思われるまでに、このあたりを統治する領主軍に追われる前に、少しでも遠くに逃げないと。
しかし、そうは思ってはいても一度限界を突破した身体は容易には元に戻ってはくれない。貪る空気は、とめどなく流れる脂汗は、遅々としてしか体力回復の役に立ってくれない。

仕方なく、手に握る短剣に力を込める。ままならぬ現状に苛立つ心はそのままに、それでもどこからともなく力が湧き出てくるような幻覚を覚えながら、彼は行動を始めた。未だ回復しきったとは言い切れないが、それを待つことは難しそうだと知っている頭は、肉体に苦痛を無理やり無視させて次の行動へと移らせたのである。


僅かな時間である程度は整えたもののその荒い息のまま女性の下へと赴き、女性の様子を調べる………よかった、たいした外傷は無い。
あの野蛮そうな男に触れられるという一種の精神的ショックによって気絶しただけだったようだ。
そんな安堵とともに後悔とも謝罪とも区別の付かぬ感情が生じる。
彼女は、自分のせいでこんな目にあっているのだ。自分が命を掛けて守らなければならない。
しかし、今の自分では追っ手から逃げるのが精一杯だ。
先の男は、あくまで彼を―――彼女を取り巻く状況のごくごく一部。あの程度であれば、いくらでも沸いてくる。しかも彼はそんな相手にさえも敵わなかった。

守りたい、なのに守れない。

たった一人の女性さえ、彼のその小さな体では守りきれない。
たとえその対象と敵対するものがこの世界すべてという大きなものであるにしても、そんなこんなちっぽけな背に背負えてしまう程度の大きさのものさえも、己は守りきれないのだ。
今は確かにそうである。だが、それが将来にわたってまで続くなんてこと、ありえないし、ありえさせない。
だからこそ、今は今日を生き延びる為に、明日に繋げる為に、無様に、みっともなく、逃げ惑う。

そう思って逃亡に移るために女性を背負おうとしたところで身近で動く気配を感じたのか、女性の口元から吐息が流れ出た。


「う………ふぅ」


ゆっくりと女性がまぶたを開き始めた。
よかった。
心の底からそう思うが、肩越しに見つめる彼の瞳が揺れる。
自分に背負われている、という状況が彼女にどういう影響を与えるのか、そういうことに思い至ったからだ。
だが、自分たちが逃げるにはこの状況が最適なのもまた、分かっている。
そのジレンマが彼を縛り続けているうちに、やがて女性が目を開き、彼の名を呟いた。


「……………ランス?」


自分の名が呼ばれた。だが、そこに喜びはなかった。彼女の認識に足りないものが、その呼び名にそのまま現れていたのだから。
未だ半ば思考が眠りにおちていることを示すかのようにとろんと開いていた彼女のまぶたから覗く瞳が自分を認識して見開かれた瞬間。
彼は、ぎゅっと歯を食いしばって悔しそうに目線を下へとやった。

それを待っていたかのように、その茶の髪と鋭い瞳、大きな口を見て完全に彼と認識したとたんに、その口から絶叫が迸る。


「キャァアァァァーーーーーー、嫌ぁーーーーーーー」
「っ…っ……っ!!」


いつものことである以上、彼の体はそれになれたものだった。しかし、それでも彼の心はその声に切り裂かれるような痛みを感じていた。自分が受けたものではないものを思って、しかし自分を理由とする彼女の苦痛を感じて、それを己の痛みとして感じていた。

フラッシュバック。
それが彼女に今まさに与えられている痛みの理由だ。

おそらく、今まで受けてきた陵辱の過程を思い出しているのだろう。
自分の背で悲鳴を上げる女性は、しかし抵抗した結果のことも思い出しているのかことのほか暴れることはなかった。心を壊してもはやまともな思考が出来なくなっても、そういったことは彼女の根底にまで刻まれてしまっている。
だから、彼の背に背負われ続け、しかし恐怖に怯える瞳と徐々に小さくはなりつつあるものの、未だ続く恐慌の叫びは、この世界においても悲痛といって何の問題もないほどのもので……しかし、彼の逃亡を邪魔しないものだった。

それゆえに彼は、背に彼女を背負ったまま足を速める。後ろの彼女をなだめることもなく、
背は若干延び、体力も付いたことで彼女を背負えるほどになり……そして未だなお彼女を狂気から救い出すことの出来ない無力な自分が出来る最大の努力として。
この場から、必死になって逃げ出した。


「(ちくしょう、ちくしょう……ちっくしょーー!!)」


悲鳴をBGMに必死になってかける彼の顔は歪んでいる。
自分の無力に、世界の残酷さに、こんな現状を生み出したものに対する怒りに。
それは疲れきった彼の体に確かに力を与える「負」の感情だった。

逃亡しながら、未だに続く彼女の悲鳴を聞きながら、彼が思うのはいつもひとつのこと。
それだけを望み、それだけを祈り、それだけを願いながら彼はいつも通り逃げ続ける。


「(強くなりたい……早く、強くなりたい!)」


それはもはや願望ではない。
己の未来にかける呪いであり、その間の苦痛を無視する心の鍛造である。


強くなってやる。強く、ただ強く、ひたすらに強くなってやる。
邪魔するもの全てを切り捨てられるだけの強さを、苦痛を強いてくるもの全てを破壊できるだけの強さを、縋ってくる過去全てを踏みにじることの出来るだけの強さを!


世界に自分達を認める場所が無いというならば……………その強さでもって必ず世界を奪って作り出してやる


「母ちゃん……すぐに、すぐに強くなるから、もうちょっとだけ待っててくれ」


三魔子が一人―――悪魔界の財宝全てを管理する最高位の悪魔レガシオに与えられた、怒りと悲しみを食らって力と化すねじれ狂った深紅の剣がどくん、と腰元で脈打ち、乾いた悪魔界の風の中彼―――心を壊してしまった母を守るため階級外の身でありながらたった一人で全ての悪魔を敵に回す少年、ダークランスの背を力強く押した。



  瑠璃へ

Comment

非公開コメント

プロフィール

基森

Author:基森
蚕鳴や円禍と名乗ってたこともあります。

主に小説・ssなどを置いているブログです。

自前の本棚を持つのは初めてなので手探りでやっている程度のものですが、わずかばかりの暇つぶしにでもなれば幸いです。


メールは「kulukku106☆yahoo.co.jp」まで、☆を@に変えた上でお願いいたします。

そろそろ、非営利にならトップへのリンクフリーとか言ってみたり。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
カウンター
検索フォーム
QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。