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外史につくろう穢土幕府・36

……………………よっしゃ、覚悟完了。



矢でも鉄砲でも批判でも、掛かってこいやーーー!!







「おー、やっと帰ってきたか。」


城門の上から、今回の戦いから帰ってきた軍勢を遠眼鏡越しに認めた一刀は、久々に詠の体を思い出して密かににやけた。
護衛代わりの馬岱を除く、一刀の持つほとんどの戦力を投入した援軍は、彼の期待通り戦況をさくっと終わらせて帰還してきたようだ。まあ、もともと武将級の戦力を一人二人投入されただけで片付く程度の小競り合いでしかなかったこともあって、彼の派遣した援軍の戦力は適切だった……その時期はさておき。

いつも通り、やはり一応の報告を受けていた出発時の兵力から考えると、今回は大分やられたようであるが、一刀は気にも留めなかった。
自分の保身のために詠に対して当初武将をつけなかったように、彼の身勝手さはもはや雑兵などどれほど削れたところで全く気にしない程度まで成長しきっていた……結局、いくら詠が善政を引いているといっても、所詮は頭である一刀からしてその程度なのだ。
たまたま、運良く、民の為になったことをちょっとしたとしても、その程度で彼の暴政があがなえる程度ではない。今のところは破綻していなかっただけで、真実を知れば決して彼に心酔する民など出ないほどに、彼の心はすでに歪みきっていた。

が、帰ってきた報告は、そんな心でもなお揺らがさざるを得ないものだった。










「……」
「……ただいま戻りました、一刀殿」
「おお~、お帰り、二人とも。勝ったとだけしか聞いてないんだけど、どうだった? 可愛い子いた?」


戦場でのつかれも穢れもそのままに、部隊を指揮していたものの責任として「主君」に対して今回の戦闘の結果を報告せん、と参上してきた凛と風をみて、いつも通り一刀はとてつもなく軽い返事をよこす。
その様は、到底戦を後にした小国の君主には見えないものである。


「っ!」
「凛ちゃん……」


どこまでもいつも通りのその態度。一刀はいつもこんな感じで、戦帰りの彼女たちに声をかけてきていた。
それが、今日に限っては二人の神経を逆撫でする。
常の一刀もそうだ、ということが分かっていながらも、それでもどうしてこの男はここまで軽薄でいられるのか、という心が、戦場帰りの猛った体に燃料を加える。

性質の違いゆえ、激昂して声を荒げようとする凛とそれをただ袖を取り首を左右に振るだけで留めようとする風、という二種類に別れはしたが、その根底に宿った感情自体は一緒だった。
それは、いくつもの命を費やし、いくつもの未来が断たれた戦場に己が野心のために多くの人々を送り込んだ等の張本人が、どの口でそんなことを、という反感だ。

彼女たちは確かに一刀に臣従していたが、それはあくまで詠を通じての忠誠。そして、それすらも求める結果があっての上での過程としての忠誠だ。
雪蓮たちのようにあやかしの術による思考操作によるものでも、詠のようにあばたもえくぼの盲目な恋心によるものでもなく、ただ単に天下万民の安寧の為、この混迷の時代に布武を張ることこそが最短であると考え、その一手段としてこの愚かな、しかし有力な男を利用することを是としたにすぎない。

周りの者だってそれは同じ。
それは、今回従軍した兵士の多くが疲れ果て、精根尽き、未だ悔恨の渦に囚われているがために自分自身のことを優先することを当然のこととして、誰一人この男に対して今回の戦いでもっとも大きな出来事について伝えようという気遣いを微塵も見せなかったことにも現れている。
彼に対してそのすべてに忠誠を抱いているものなど、術の力によるものを除けば、ほんの僅かな人数しかいないのだ。

確かに天から来たといわれても否定できないほどの力を認めているからこそ、普段の自堕落な生活も見逃せる、と妥協の末に下についてはいたが、絶対的な忠誠を抱いているとは御世辞にもいえやしない。
だからこそ、たとえ状況が変わりつつあるとはいえそれでもなおこの男が主君と抱くだけの利用価値を持っている、ということを重々理解していてもその感情は消えようとはしなかった。


「ま、いっつもどおり楽勝に決まってるよな、ゴメンゴメン」
「一刀殿……今回はまず、お伝えしたいことがございます」
「……」
「え?」


正直言って、普段よりこの男に対して現状をこまごまと説明する必要などありはしない。それは、風と凛に共通する見解だ。
孫子の一篇さえ読んだこともないようなこの男に、今回の戦の衰勢を事細かに語ったとしても理解できないだろうし、理解する気もないだろう。
大目標―――それこそ、今年はどこの勢力を攻めるか、それとも国力の蓄積に励むのか、といった極めて重大な方針を決めるときならばさておき、それ以外の戦争への参加方法から国力の維持、宮廷への工作といった政治の大部分は元々詠を頭とする三人で決めてきたに等しいのだ。
ゆえに、今回のように多方面に影響する重大な問題が発生したとしても、所詮それが中方針でとどまってしまうものであるならば、いつも通りこの男には最終的な結果を伝えるだけで事足りてしまう以上、一刀に対して結果ではなく過程であるそれを伝えるのは無意味だ。

それでもなお、無駄だと分かっていても今までそれを続けていたのは、制度上一応トップである月の委任を受けている天の御使いである一刀の承認を取った、という形を取る必要があったことと、文官トップであり彼の愛人である詠の単なる我侭に過ぎない。


「今回の戦争における被害は甚大なものでした」
「へ~、珍しいこともあるもんだ。けど、結局勝った「その中で最大のものは」……?」


だからこそ、過程における努力などをまるっきり無視して、ただ自分に都合のいい結果だけを求めている愚かな男になんて、嫌がらせ交じりに適当なことを伝えたとしても誰にも責められるいわれなどない彼女たちの脳裏に、それらのことが全くよぎらなかった、といえばそれは嘘になる。
だが、同時に、そんなことを本気で実行するほどの愚者でもない彼女たちは、その智も武も志も持たぬ主君に対して史書に残る名高き英才として相応しい態度で己の感情を押し殺して、伝えた。


「詠様が……身罷られました」
「…………え?」
「…………その代わり、張飛を捕らえることに成功したのですよ」
『おうおう、よかったじゃねーか、兄ちゃん。こういうのがお望みだったんだろ?』
「……だめですよ、宝慧。はい、これがその牢の鍵ですよ~」


享楽に溺れ続けた結果として甘い蜂蜜漬けの思考に浸ることを常としており、全く予想もしていなかったらしい事態に対して、国主らしい態度を見せることもなく馬鹿のようにぽかんと口を開けることしか出来ない一刀の姿は、その彼の今までの愚考の象徴ともいえる態度であった。
それを見て、冷静そうに見えて割と感情豊かな凛はもとより、常に何処か飄々としている風さえも眉根をひそめて嫌悪感をあらわして、半ば強引にその手の中に今回得られた数少ないこの男の望んだ成果の結晶への引き換え券を押し付ける。

どこまでも聡明な彼女たちをして、そこまでが限界だった。
このままこの男の前にいれば、この男の愚挙の為に失うべきではない同志を失ってしまったことへの感情のままに行動してしまうかもしれない、と軍師として常に冷静であるべきと考えている二人でさえも危惧してしまうほどに。

結果、ついにその感情を抑えられなくなった二人は、自身の理性を最大限無理やりに飲み下しておこなった判断の結果としてそれだけ伝えて、未だ現状を理解しているとも思えない男を完全に放置して、この上なく貴重な人材を失ったことによってできた国政上の巨大な穴を埋めるための作業の方を優先するために踵を返した。
ただ、何かの作業に没頭することで、失ったものによる大きな大きなその心の傷をごまかすことに決めたのだ……そのためには、この男の相手している暇なんてものありはしない。


「詠ちゃんが……死んだ?」


その、英雄たちの彼女たちなりの死への痛みとその供養の切り替えに速度についていけなかった天の御使いは、自分でその事実を噛み砕いてつぶやくことで、ようやく脳みそにその情報を伝達する経路を開くことが出来た。








詠が――董卓軍筆頭軍師、賈駆が今回の戦闘において、死んでしまったらしい。
らしい、と付くのは、詠の決死の策により全滅は免れたものの大敗を喫した董卓軍では、戦場にて不意にこぼれた遺体の確保さえ出来なかったから、という理由一つだけで、なんら期待の持てる含みを持ったものではない。

慌てて周囲に歩く連中をとっ捕まえたり、自身の保有する雪蓮ら人形兵らから事情を聞いた一刀は、その呟いた言葉が真実であると知ったときでもなお、なんだか現実感をもてなかった。

逃亡中に突き刺さった、たった一本の矢。
ただ、それだけでただ単にまたいつもの戦に出かけたはずの詠は、帰ってこれなくなったらしい。
それは一刀が望んだ劉備らの捕獲、ということを焦った詠による失策によるものだ、ということもそれとなく聞かされてはいたのだが、それを彼がイマイチ頭で理解しているとは言いがたかった。

なにせ、ドラマチックな別れのシーンも、熱い情熱を込めた最後の言葉も与えられなかったのだ。
それは、一刀を中心とした一刀のための物語にはありえるはずもない、唐突に訪れた不自然な悲劇だった。
少なくとも、一刀はそういったことを全く想定してはいなかった。
自分の味方が死ぬわけがない、となぜか確信じみた考えさえ持っていた彼にとって、自分の女が戦場で倒れる、ということは想定の範囲外だった。
史書上の有名人とはいえ、自分と敵対している陣営ならば手に入れ損ねる、という形で舞台から退場するケースはあるんだ、とぐらいは思っていたが、自分の味方が―――それも、最大の味方が主人公の眼の届かないところで勝手に死ぬなんてこと、ないはずのことだった。

だからこそ、少なくとも死の淵において何か一言一刀に恨み言を残すだとか、あるいは愛の言葉を言付ける、といったことさえなしに、不意に自分の前から姿を消した詠は、まるでただ単に戦場に未だ出ていて自分のために勝利し続けている、といわれれば信じてしまうほど、彼の中では受け入れがたい事実だった。

一刀にとってそれほどまでになんら劇的な展開もないままに無為に起こった「詠の死」という事実は、非現実じみた「イベント」だったのだ。



だが、彼の力によって絶対服従を誓っている雪蓮や白蓮が嘘をつくはずがない。
故にそれは事実。
あの哀れな少女は、ついに最後まで報われることなくその無垢なる魂を天に召された。
一刀の邪悪なコレクションの一角であったはずの詠は、もはやもどってくることはない。
それが純然たる事実として起こったのだ、ということになり、それが覆ることはありえないということを前提に動かなければならない。
それを信じないということは、自分自身の基盤となっている太平要術の書の力を怪しむというもうとうにすぎた段階まで遡らなければならなくなるからだ。

つまり、例え思考を半ば放棄しているに等しいゆとりきった彼とはいえ、とりあえず夢だとか、報告間違いだとかとかそういった方向で都合のいい思考に逃げることなく、受け入れざるを得なかった。
例えそれが、どれほど受け入れがたい事実であったとしても、少なくとも前提としてそれを信じる、という判断だけは覆せない。


なればこそ、一刀は当初、イマイチ詠の死ということを受け入れられないままではあるが、今後の方針の建て直しをするか、と考えた。
天下統一を目指す主人公としては、想定外の『イベント』があったとしても、決断を滞らせるわけにはいくまい。

故に一刀は、詠の死という事実を前提とした素晴らしい戦略を練って、彼女というユニットを失った以上の利益を得られるよう頭を振り絞らねばならない。
現実感がないままに、一刀はそう考えたのだ。

この乱世を好きにする権利を与えられた英雄として、ここよりはるか進んだ時代から来た天の御使いとして。
主人公であり、ハーレムなんて外道なことをしているものとしては、そうでなければならないのだ。


「ははっ……所詮物語の登場人物が一人死んだだけじゃないか。この世界は、こういうものだったんだよ」


だからこそ呟くその言葉は、確かに彼が思い続けていたことだ。
ここが現実ではなく、自分主役のレジェンドストーリーだと思っていたからこそ、いかなる人を傷つけようと、いかほどの命を奪おうとも、一刀はもはや罪悪とさえ思わなかったはずなのだ。

その論理からすれば、味方側であった詠の死は貴重な手駒の喪失と言う面では確かに痛手であるはずだが、逆に言えばそれ以上の意味を持たない。
未だに程立や郭嘉という軍師を保有している以上、強大な能力を持った軍師が一刀の妖術の力を知って裏切ったというのならばさておき、ただ単に死亡したと言うだけならばそう深刻になるべき事態ではないということになる。
そう、彼の今までの行為からすれば、そう思わなければいけないのだ。

にもかかわらず、一刀は自分が呟いたその言葉に、他ならぬ自分自身さえも騙せぬ欺瞞を感じた。
たった一つ、手駒が消えただけ。
そんな言葉では言い表せない胸の空虚さは、今まで自分を誤魔化し続けて生きてきた一刀にさえも自覚できるほど大きなもの。


「そうだよ……ほら、たしか結局賈駆は病死したじゃねえか。それが、ちょっと、早くなったぐらいで……」


だから、言葉が徐々に弱くなっていくことが、本人にさえも止められない。


三国志の賈駆が八十ぐらいまでと当時にしては相当の高齢まで生きたとはいえ最終的に病死することは、物語を読んだことのある一刀は知っていたはずだ。
大分忘れつつあったとはいえ最終的にどのような生涯をすごし、どんな想いで死んでいくのか、物語で描かれた範疇内だけであれば三国志の主要な登場人物に関してある程度までは覚えていた一刀だったからこそ、彼女たちの生殺与奪権を己が持っている、と驕っていたのだ。
ならば、賈駆役の登場人物が途中退場しようとも、彼が変わるべき理由など一つもないはずだ。
むしろ今までの論理からすると、孫家の悲願を潰し、袁家の屋台骨を歪ませ、董家に寄生したときと同じようにそれら登場人物の死とは離れた場所にいる自分こそが特別だとふんぞり返っていなければならないはずである。



だが、一刀はそう割り切ることが出来なかった。
当たり前だ。当たり前のことだった。
彼が欲したのは、三国志の登場人物である賈駆ではない―――あの可憐な少女の詠なのだから。


詠が隣にいない。
あの健気な少女が、自分の隣で声をかけてくれることは、もう二度とない。

変化はそれだけだ。
まだ雪蓮も大喬小喬も雛里も、天和も風も凛も白蓮も蒲公英も彼の手の中にいる。それなりの規模まで成長した河東は、彼一人が今までどおりの生活を続ける分には十分なだけの力はすでに持っている。
これ以上を望んだとしても、程立と郭嘉という歴史に名を残すだけの軍師というカードを保有している以上、今までよりかは速度が落ちるにしてももっと慎重なやり方をすれば決して不可能ではないはずだ。


「どうかしたんですか、御主人様?」
「ゆ、月ちゃん。詠ちゃんが、詠が……」
「あ……私も今聞きました。御主人様、大丈夫です。詠ちゃんはいなくても、私はずっとここにいます。他にも雪さんも、大喬さんだっていらっしゃいますから」


なんだったら、また各地の勢力を裏から落とすヤクザ商法へと戻ってもいい。
凡人と天才の差が余りに大きなこの世界において、その人材を自由自在に移動させることができる一刀の力からすれば、たかが詠一人が使えなくなったとしてもほとんど影響は無いのだから、彼女がいないのならば何もこの地にこだわる必要なんて欠片もありはしない。

だから、彼の野望上は河東が潰れたとしても―――詠が消えたとしても何の問題もないはずだ。
問題ないはずなのだ。
なのに。


「そうだ。私がお慰めいたしますから、お部屋に行きませんか?」
「ゴメン……そんな気分じゃねえから」
「あ……いっちゃった。御主人様、あんなにも落ち込んで、御可愛そう」


そう、たった一人がいなくなっただけで……そしてその一人は、何よりも、誰よりも大きなものだった、ただそれだけだ。

ただそれだけで、快適な生活も、自分の事を何でも聞いてくれる美少女の存在も、他者に一方的に命令できる権力も、何一つなくなっていないのにすべてが彼の前で色あせた。
自分にとっては恋でもなく、愛でもない関係で繋がっていただけのはずの少女は、しかしその他すべてのものを彩る為には必要不可欠な人物だったのだ。

いかなるものの心をも自由に出来る力を持った一刀にとっての唯一無二。
力の存在を信じていても彼に従い、だが絶対服従の呪いは掛かっていない。
操ることで、欺くことで、偽ることで人間関係を維持していた彼における、たった一人の例外。

術の力を知っていて、それでもなお彼に尽くした術に掛かっていない人間と言う存在がどれほど貴重だったのか。
人間的に劣等へと成り下がった彼を受け入れて、いつくしんでくれた彼女が与えてくれたモノがどれほど大きなもので、そしてそれを受けて彼女に対して自分がいかなる感情を抱いていたのか。
それをようやく自覚した。


一刀は、愛されていたのだ
一刀は、愛していたのだ。


彼女が戦場に出続けたのは、きっと今でも僅かに残っていた一刀の胸の奥の一片の疑いを晴らしたかったのだ。
生まれてこの方、誰かに尽くすことでしか思いを伝える方法を知らぬ少女にとって、自身が裏切るのでは、と最愛の男に思われたときに出来ることは誠心誠意言葉を尽くすことではなく、無言で結果を積み上げることであった。

『自分は何があっても、例えその心が偽りだったとしても、あなたを信じる』

言葉にするならばたったこれだけ。彼女が本当に伝えたかった言葉は、たったこれだけなのだ。
だが、それを直接言ったとしてもきっとこの男は信じなかった。
だから結果を積み上げることを焦った……そして、失敗した。

そう詠が思った、思ってしまったのは思いを素直に言い表す術を知らなかった彼女自身の問題であるとともに、それだけの小物っぷりしか彼女に見せてこなかった一刀が悪かったというしかない。

だが、もはや何を言っても時は戻らない。彼女が知ってしまったことをなかったことにすることは出来ない。
ならばこそ、語るべきなのは純然たる事実。
お互いが、お互いともに致命的なところで間違っていたがために、「裏切らない」のたった一言の誓い。
それを疑い深く臆病な男に心底信じさせるためには、彼女は膨大な成果を彼の前に捧げることでしかいえなかったのだ。


そしてそれは、よりにもよって最悪の結果をもたらすことになってしまった。
そのことに、ようやく一刀は気付いた。

愚者たる異邦人は、失うまでその存在の価値を知ることがなかった。
失って始めて、彼女が自分にとってどんな存在なのかを自覚した。


「あ……ああ…………ああああああああああぁぁぁ!!」


絶叫と共に零れ落ちた涙の一筋は、見る見るうちに大河へと変化を遂げていく。

意味もない叫びは、しかしその大きさによって衝撃を物語る。
失ったものの大きさを今更ながらに知って、泣き叫ぶ一刀。
泣いても、喚いても、その心に生まれた隙間は決して埋まることはない。
今後どれほど時間がたっても消えることなど考えられないほどの衝撃を彼は受けていた。
失ったものはあまりに大きく、大切なものだった。
手放してはいけないはずのものだった。誰よりもいとおしみ、大切にしなければならないものだった。

それを、自分がつまらない、愚かなことをしたばっかりに永遠に失ってしまったことに対する後悔は、とめどないものであった。
どれだけ悔やんでも足りないだけのものであった。



だが、普通に考えれば彼にそんなこと―――誰かの死を悔やむ、悼む資格などありはしないはずだ。

その未来は彼が今まで奪ってきたものだ。今まで、何人の心を貪ったと思っているのか。
その絶望は彼が今まで与えてきたものだ。今まで、何人の命を弄んだと思っているのか。

悪逆非道の限りを尽くしてきた北郷一刀は、平等の精神で考えるならばいかなる目に合わされたとしても文句を言えない立場であるはずだ。
術で操り、数を頼り、力で踏みにじって好き勝手にしてきたことがそのまま彼に帰ってきた。
大切な人を奪われる悲しみが、奪う側だった彼に帰ってきたというただそれだけ。

ましてや、それを一層悪化させたのは彼自身だ。
彼が信じられず、彼女が伝えられなかったがためにその因果を防げなかった。
因果応報というまでもないいつか来る順番待ちが終わっただけの、ただそれだけだった。


ならば、普通に考えれば一刀が責めるべきなのは他人ではない。己自身だ。
ろくに働きもせず、享楽のみをむさぼり、怠惰に過ごした日々のツケが、運良く……あるいは、運悪く彼自身に降り注がずに彼のそばに居た、しかし離れてしまっていた少女の身に落ちた。
悔いるべきは己の怠惰であり、怨むべきは己の悪行であるはずである。彼女を失ったのは、ほかならぬ一刀自身の自業自得によるもの以外にはありえないのだ。

そう考えるのが『普通』である。


「畜生、畜生、ちくしょおおおおぉぉぉぉ! よくも、よくも俺の詠を!」


だが、彼は。
『普通』ではない。
『凡俗』ではない。
『弱者』ではない。


頬を伝う大粒な涙が地面に落ちる僅かな音とともに、ぎしり、と口内の歯が強くかみ締められたことによって軋む音が大きく響く。
外部にまで聞こえるほどの強さのそれは、真っ赤に染まった表情や硬く握り締められた拳と同じく彼の激情を現していた。
だが、自業自得の極みとして表れたはずの結果への感情に与えられた名前は、己への後悔や悔恨というものではなく……それは、他者に対する怒り、憤怒と呼ぶべきものだった。

彼は、自分自身の悪行の末最愛の少女を失うこととなった今でもなお、己を省みようとはしなかったのだ。
否。それがなかったとはいえない。彼は確かに後悔していた。
だが、それ以上に彼を突き動かすものがあったことこそが大きい。


「くそが、ふざけんな、ふざけんなーー!!」


それは『こんなの間違っている』と言う強い意志だ。
最後の言葉を聞く機会などがあればまた彼は彼なりに悲しんで、受け入れることが出来たであろうが、そういった『イベント』さえなかったことが、この場合は余計に裏目に出た。


この世界に来てからの彼はいつだって踏みにじり、勝ち誇る側の人間だった。
平等なんてくそ喰らえ、と言わんばかりに弱肉強食の理でもって君臨し続ける側の人間だった。
人を操り、女を犯し、酒食を喰らうことを日々としてきた彼にとって見れば、自分が間違っていた、だからその結果としてこうなった、ということはありえないことだ。

匪賊として己に襲い掛かってきた三人組が死ぬこととなったのは、彼らが自分を襲うなどといった天をも恐れぬ所業を行った悪人であり、その上で襲いくる脅威にろくすっぽ抵抗できないほど弱かったからだ。
大喬と小喬が太平要術の書の力に囚われ、人形と化したのは、彼女たちが周瑜などという彼と敵対する愚か者に手を貸していたからだ。
袁紹と張勲が治めていた土地が戦争によって弱体化したのは、彼女たちの日ごろの調練がダメだった為であり、その彼女たちに踏み潰された孫家の兵たちは、偉大なる天の御使い北郷一刀に対して刃を向くなどといった大それたことをしたから、滅びた。


天から愛されており、それに相応しいだけの力を持っている自分は絶対的に正しいのだから、そうに決まっているのだ。
自分の『間違い』が存在しない以上、その『間違い』の結果としての『不幸』が彼の身内に降りかかることなんて、間違っているのだ、不公平なのだ。
それこそが、彼の考える道理であり、天命であり、正義である。

この外史に堕ちてきた当時の彼では考えることも出来なかったであろう自己中心的なその論理は、しかし今の一刀にとっては疑問に思うこともないごくごく当たり前のことだ。
間違っているのはすべて自分以外。
自分の意に添わぬことを考える人間は、すなわち悪。
自分に味方し、自分に服従し、自分を愛する者だけが絶対的に正しい。
この外史に来てより彼に根付いた、彼の信ずる正義だ。

だから詠は生前からまごうことなき正義であり、そして死に面したときでもなお正しく、その詠を殺したものは間違っている。
彼の中では、そうに決まっている。
その思いは、決意となって彼の口から言葉として飛び出す。


「殺してやる……殺してやるぞ! 俺に歯向かうような奴は、俺から奪うような奴は、全部殺してやる!」


血の吐くように搾り出されたその言葉に込められた憎悪は、無辜の民が突然の災厄により愛する者を奪われた場合と比べても、余りに醜悪なものだった。
それはどう考えても一刀の心を満たす以外には何の利益も生まない醜い感情であり、間違っているはずの想いだった。詠がそんなことを望むわけがないことは、彼女と接した人間であれば分かっていなければならないはずである。
ゆえにその言葉が示すものは、死者の無念を代弁すると言う程度の正当性さえ持たない、一刀の一刀による一刀のための壮絶なる逆恨みだ。




だがその情動は、この外史においては肯定されないまでも否定できないものでもあったのだ……少なくとも、強者たる一刀が語るならば。
一刀は引きちぎらんばかりに胸元に入れてあった自身の力の源に伸ばした手に力を入れる。体温が移った生暖かいそれは、一瞬だけ太陽に散々照らされた鉄のような怪しげな熱を彼に感じさせたが、それさえも一刀の思いを止める役にはたちはしない。
ぎしり、といっそう強く書を握りこむことであっという間にその熱を霧散させた。
心を操る妖術書さえも怯える憤怒が、彼を突き動かしていた。


詠を失ったのだ。
せめて当初目指した目標ぐらいは達成しなければ、『元』が取れない。
その死に際して大きなイベントさえ起こらなかった以上は、この後にもっと楽しい展開、もっと美人で可愛い女の子が手に入るということでなければ、おかしいのだ。ありえないのだ。
失った大きなものと取り替えられる以上のものを獲得しなければ、詠の存在そのものが間違いだったということになってしまう。
彼女自身も一刀に協力していたことを思えば、それを達成することこそが彼女への供養にもなるだろう。

いや、そうでなければならない。
そうでなければならないのだ。


もう、休暇は終わりだ。散々骨休めは出来ただろう。
自分自身の力で、この餌の豊富な外史を食い荒らす時間。
箍の外れた心でもって、己の力を振るう時が来たのだ。
それこそが、彼女が望んだことなのだ。


「全部、ぶっ壊してやる……元の世界なんてもう知らねえ。ここは俺の世界だ!」


その歪みきった宣言こそが、北郷一刀という存在が本当の意味でこの外史にて自分自身の力でもって覇王として名乗りをあげる第一歩だった。


天から堕ちてより、非常にぼやっとした動機のみでかつて見知った歴史の上で不動の名を上げることを至上の夢として見ていた少年は、もういない。
ここにいるのは、歪んだ心によって天命だとか、因果だとか言ったことさえも自分勝手に否定して、失われた彼女と共に願ったこと―――天下を彼の手の中にという夢を、彼女が生きた時代においてどんな手を使っても打ち立ててやるという強い意思を持った一人の男だった。



 37話へ

Comment

詠ちゃん……

楽しんで読ませていただいてます。

詠ちゃん、やっぱり助かりませんでした。
このまま詠ちゃんの献身で一刀がだんだんと「立ち直っていく展開」もありかなと夢想していました。

そして、妖術書の標的が劉備に向かうのか関羽に向かうのか気になります。
どちらに向かっても、妖術書の標的にならなかった側の心を痛めつける展開になるだろうし。

詠ちゃん…

愛して、愛されるという関係がひょっとしたら築けていたかもしれないのに…。残念です。
そして悪一刀覚醒ですか。
そうですよね。天下くらい取らないと割りに合わないですよね。
ここから失ったものを埋めるべく足掻く様を楽しみにしてます。
そして両軍師は悪一刀を見捨てるのでしょうか?

詠ェ・・・

よくある遺体との対面シーンはないんでしょうか
人づてに聞いただけじゃ大切なものを失ったって事をなかなか実感できないと思うんですよね

詠は記憶喪失になって桃花側にいるって、俺、信じてるんだ……。
批判なんてできない。納得の展開ではあるし。
それと悲しくないかは別問題だけれども。
悪一刀覚醒ですね、楽しみです。

まだ死体は見つかっていない!

一刀ェ……なんというルルーシュ
「間違っているのは俺じゃない、世界のほうだ!!」
覚醒悪一刀の活躍に期待!

おー。ついに覚醒したか。長かったですね(笑)
最後まで詠のことを覚えたまま、外道な覇王を目指していくのでしょうか? 楽しみです。

いつも楽しく読ませてもらっています!ついに徐々に腐敗していた一刀の精神が一気に崩れましたね、そして強靭な自己欲で再生したかのように思えます、小物だったそれが”邪悪”とも呼べる存在に変貌する過程にゾクゾクしました、もう戻れないのでしょうか……新たに手に入った張飛というカードをどう切るのかが楽しみです、勿論洗脳するのでしょうが、気になります、続き期待しています

No Title

詠・・・・・・
覚醒した一刀がここからどうするのか。
次話を期待してまってます。
非公開コメント

プロフィール

基森

Author:基森
蚕鳴や円禍と名乗ってたこともあります。

主に小説・ssなどを置いているブログです。

自前の本棚を持つのは初めてなので手探りでやっている程度のものですが、わずかばかりの暇つぶしにでもなれば幸いです。


メールは「kulukku106☆yahoo.co.jp」まで、☆を@に変えた上でお願いいたします。

そろそろ、非営利にならトップへのリンクフリーとか言ってみたり。

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