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外史につくろう穢土幕府・04

質はともかく一日五千字書けたなら、一月で十五万字行くなあとか思ったり。
最近ちょっと行き詰ってるので、試みとしては質より量がテーマだったりします。












罪は、償わなければならない。
それは、誰もが知っている事だ。
五歳の子供でも知っているし、九十過ぎた病床の老人とて忘れることはないだろう。
それは、真っ当な文明社会に生きるものであれば、程度の差はあれど誰もが当然のように思っている共通認識でしかないので、今更声高に語るようなものではない。

それは、当たり前のことなのだ。



だが、その「罪の償い方」についてはどうだろうか?
犯した罪に相応しい償い方を、正確無比に確実に知っていると断言できる者がこの地上に存在するのだろうか?

一刀が生まれ育った日本においては、一応の基準として二人以上の人間を殺した者については、死をもって償うべきだとされている。
だが、それは果たしていついかなるとき、場所においても正しい『罪の償い方』なのだろうか?

自らの命を失ったとしても、それで他者が生き返るわけではない。むしろ、世界的に見るのであれば二人の損失に加えてさらに一人減るわけであり、マイナスとも言えるであろう。
その考えの元に立って、死刑廃止を制度として定めた国も決して少なくはない。

では、二人の人間を生み育てることで結果としてプラスを目指すべきか、といってもそもそも人を殺したものの腕が無垢な命を抱く事は、果たして許される事なのか。

一生を強制労働ということにしても失われた命は帰ってこず、その殺した者の一生が続いている事それ自体が被害者からすれば腹立たしい事であろう。

殺した者の身内に尽くしたとしてもそれはその死んだ本人とは決して同一にはなりえないし、全く無関係の善良なる弱者を助ける事も見方によっては自己満足の域を超えまい。


結局、償い方なんてものは時勢や場所によって変わる、変わらざるをえないものであり、今の基準が正しい、なんてことは誰にだって証明できない事だ。
僅か数百年前の窃盗の対価が斬首という事が正しいなどとはもはや誰も言わないであろう。
それと同じ事が、百年後から見た現代の死刑制度についていえないはずがない。

それほどまでに、「罪を償う」という事について、正当な量刑を定める事は困難な事なのだ。



だが、だからといって『犯した罪は償わなくてもいい』と、いうことにはいかなる世界のいかなる国家においても、決して定められる事はない。
独裁国家であろうとも、適応がきちんとされるかはさておき一応の基準を持って罪と罰については定められる。

それは、神様か何かに定められたからそうなっているのではない。
「そうしなければならない」からだ。

何故か?


それは、この外史へと一人飛ばされた一刀の現状をみれば、すぐさま証明されるであろう。




「御頭。ご命令の通り馬を調達してきやしたぜ」
「御頭。本日も締めが終わりましたので、上納金をここに」
「御頭。お言いつけの通り町にて盗みを働いていた奴らをこちらに連れてきやした」


上がってくる報告に、官憲対策に顔を隠した覆面のような布越しに一刀は大きく頷いて、理解を示す。
たったそれだけで、筋骨隆々の強そうな男も、人相の悪いいかにもな男も平伏して、一刀に対する敬意を示した。
彼らにとって一刀は神にも等しい。

己の生きる目的を与えてくれ、生きる術を教えてくれ、やらねばならぬ行為を定めてくれる。
自分たちはそれをしているだけでいい、それに従うだけでいい、というその『幸せな奴隷』にも似た感情は、間違いなく妖術書、太平要術の書の力。
しかし彼らはそれを自覚する事なぞで傷に、ひたすらに一刀につかえることだけを幸せと思って生き続けていく……荒野で果てたあの三人のように。


一刀は、再びあの悪魔の術に手を出したのだ!


命からがら逃げ出した末にたどり着いた荊州の街のひとつにて、一刀は会いも変わらず匪賊生活を送っていた。
もっとも、その人数は膨れ上がり、農村を襲うなどという派手な事より街の店や住人からショバ代やみかじめ料を取るその様は、匪賊というよりもヤクザやマフィアといった方が正しいであろうが。


最も彼らは、暴力をもって街の市民達に迷惑ばかりをかけているわけではない。
十数人にも膨れ上がった人員は、後漢末期という撹乱の時代もあって余り治安のよくない街の秩序の維持に一役買っていたし、一刀自身もそれを望んでいた。

彼自身も未だにそんな欲をかいていたわけではないので日々食べられるだけで満足しており、街の人々に暴行を振るうような事は配下にも厳しく禁じていた。
そのため、見ようによっては自警団とも見れなくはなく、街の人々にも歓迎はされていないもののそれなりに受け入れられつつあった。

何といっても、今まで迷惑ばかりをかけていた荒くれものどもが、布で顔を隠している一刀の前に来たとたんにおとなしくなり、彼らなりの規律を守るようになるのだ。
酒を飲んで暴れる、脅しつけて商品を奪っていく、などの彼らが行っていた迷惑行為がさっぱりなくなり、それなりの金額を支払う必要があるとはいえ彼らの傘下にいれば盗みや暴行の被害が激減する。


「なんだかんだで、あの人もたいしたもんだよな」
「もうちょっとみかじめ料とやらを安くしてくれたら、と思わないでもないけどな」


太平要術の書のことを知らぬものから見れば、それは信じがたい光景にしか思えない。
そこまで荒くれ者どもを纏め上げる一刀のことを、好意的に語るものさえいた。

それがいざとなればいかなることでも命を懸けて行う、一刀の私兵である事に気付いているほどこの時代の市井の人々は賢くなかった。







たった三人から始まった匪賊も、ただの根無し草の旅人ならばさておき腕を磨いている武芸者やそれなりの商隊、官軍に追われてしまっては命がない。
一度それらに遭遇して命からがら逃げ延びた後、考えるのはまたも死にたくない、の一言。

自身が奪う立場だった事から、街の善良な人々という立場がいかに脆いものであったかを知る一刀にとって、まともに働くという考えは初めから頭にない。
自分たちのような匪賊にアッサリと蹂躙される可能性を考えると、それは取れるはずもない選択肢だ。


死を知ったがために、彼は誰よりも死を恐れ、それを防ぐ為の力を追い求める。

この世界に来たときに彼をある意味保護した三人が生きていれば、もうちょっとましな手段―――たとえば、領主の兵として志願する―――といった手も取れたのかもしれない。
三国志という物語を知る彼にとって、安全で最後まで生き残れる可能性のある勢力に付くのはそれほど難しい事ではなかった。
が、この世界のことを未だにほとんど知らず、身元を保証する知り合いもいない彼がそんな「まとも」なことを知るよしもない。

そもそも、こちらに来てからそんなまともなこと、何一つ考えずに生きてきたのだ。
いまさら「天の御使い」を名乗って誰かのヒモ、なんてことを考えるよりも、今までの生活の延長上で何とかさらに安全な事を工夫する方が思考回路としてなぞりやすい。


だが、今の戦力ではもう一度彼らに出会った瞬間に今度は確実に殲滅される。
匪賊という生活についてのリスクをつくづくその身で思い知った一刀
それを防ぐ為に行う事は……戦力の増強しかない。


身につけていたボールペン、バッテリーの上がったスタンガン、こちらに来てすぐに電源を落とし、その後一度も起動していなかった携帯電話。
それらすべてを珍しい物好きの領主出入りの商人に、太平要術の書の力もあってかなりの値段で売り払う事で当座の資金を手に入れた一刀が行った事。


それは、一度は後悔をしていたはずの術、人の心を操る事であった。

自らが操った三人が無残に殺された事を見て、後悔をしていたはずの一刀。
それなりの悪行を重ねていたとはいえ、まだまだ「平凡な日本人」としての心が残っている彼にとって、自分の命令ひとつで命まで捧げて散っていかせたことがどうでもいいことだなどと思えるはずはない。

ある程度の資金の余裕が出来、ようやく回りを見渡せるようになったころから、一刀は毎晩悪夢に魘され、心にしこりを抱え、あの時自分が変わっていればという後悔を胸に日々苦しんでいた。
もはや善良とは決していえなくなった心とて、死を日常とするほどには穢れていなかったのだ。



だがその後悔は、やがては自己欺瞞へと繋がっていく。

初めは、とりあえず思い悩み続ける事だけが贖罪ではあるまいと、ほんのちょっとだけ考え方を変えてみようと、ただそれだけの気分転換のつもりだった。
だから、深い考えもなくただ溜息と共に思考をほんのちょっとだけ自己を正当化に使ってみる、ただそれだけのつもり。


(あいつらは、俺が来る前から悪人だった。
だから、俺のことを抜きにしても殺されても仕方がない人間だった。
そうだよ、俺がいなくてもいずれは官憲に討伐されていたから、仕方なかったんだ)


本当に最初はちょっとだけ考えるつもりだったのだ。
だが、一刀はこういった逃げ道を見つけてしまった。

初めは己のせいで人を殺してしまったことに対する恐怖心から、必死になって自分の心を守る為に呟いていたその言葉は、やがては自己の正当化へと使われるようになっていった。

自分の心を偽って、「彼らは殺されても仕方がなかった」と呟き続けた事で、いつの間にか心は「彼らは死んで当然だった」と錯覚し始めたのだ。


人の心は、磨耗する。

ましてや彼らは、一刀にとって最終的には能力を使って操っていた便利な駒でしかなかった。彼らだって、妖術が解ければきっと同じように考えたに違いない。
断じて義兄弟の儀を交わす様な繋がりも、その能力への憧れを元にする忠誠も、目的を同じにする連帯感もなかった。
あくまで、太平要術の書を経由しただけのつながりしかなかった。


そんな彼らに対する感情といえば、真っ当な経路で築き上げた友情もなく、それなりの期間を共に過ごしたとはいえ術にかかっていない一刀から見れば仲間意識も薄く、後になって思えば出会ってすぐに命を危うくされた恨みすらあった。

初めはともに過ごした時間や世話になった恩義を感じていた一刀も、時の経過と共にそれら日々の日常の記憶は薄れていき、戻ってくるのは『初めに殺されかけた』というあまり時を得ても薄れない箇条書きされた事実だけ。
それに自己の正当化が入っていけば、普通の、平凡な人間の心は自らの罪と向き合うような大変なことなど出来やしない。
一刀は結論として、「自分は悪くなかった」という位置づけを行ってしまった。



そして、それを後押しするような事実が存在した事が、その心のあり方を後押しした。
三人もの首級をあげた以上、市井にまぎれた彼をわざわざ探して追ってくるほどの必要をあの馬上の男は感じていなかったし、卑属として活動した期間が短く、現場においても太平要術の書の力で被害者の口止めを行っていた一刀は、官憲にもマークされていなかった。



結果として、一刀は人を殺したとしてもその罰を受ける事が誰からもなかったのだ。

刑罰とは、再犯を防止する為の機能も持っていると言われる。
人は罪を犯したとしても、その罪を犯した事によって得られた利益以上の不利益を受ける事を身を持って知ったのであれば、次は二度と起こそうとすまい。
だからこそ、逃げ得を許すようなことは絶対にしてはならず、罪を犯したものは等しく刑罰にかけられなければならない、とする考え方の事だ。

現代日本の起訴後の有罪率99%とされる現状も、この考えを如実に反映して運営されている。
だが、ここは後漢末期。
漢王朝の力は衰え、官憲の横暴がはびこり、各地で群雄が割拠する乱れた時代。
英雄達のある者は忙しく、ある者は気付かず、ある者は手が出せない。

一刀という小悪党に対して罰を下せるだけの正当な「正義」の持ち主など、どこにもいなかった。
こうして一刀は、罪に相応しいだけの罰を免れる事となり、それは自己の行ってきた行為に対する肯定ととらえる事となる。



そうである以上……再び人を操る事をためらうだけの理由が、どこにあっただろう。



(そうだよな、殺されても仕方ない奴を操ればいいんだ! そうすりゃ死んだときも誰も悲しまないし、俺だって咎められる事はないってことだ)



人の心を操る事に対する罪悪感。
また一つ、一刀の心を留める箍が外れた。

こうして出来たのが荊州の街のひとつを傘下におさめる、小さな暴力団。
ただし、一刀の現代的なセンスによって運営され、妖術の力で強力に規律が纏められたそれは、今まで街にあったそういった同類の集団を瞬く間に駆逐する事となったのであるが、それは一刀という強大な力の保有者の心の変化に比べれば実に些細な事でしかない。

そんな程度の力であれば、一刀はいくらでも、何度でも手に入れられるようになってしまったのだから。




さて、何故、罪は償わなければならないのか、これでお分かりいただけたであろう。
それは……罪に対する罰がなければ、人は罪を犯す事をためらわなくなっていくからである。



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Comment

感想

 おっしゃるとおり、どこかの参加に下らない一刀は珍しいですね。プロローグにおける彼の有様を見るに、この先が非常に期待できるなぁと思わされました。
 (お話の流れ的な意味で)”安易”な善性に流されず、このままずるずると悪役街道を”破滅しないで”進んでいっていただければと思います。
 作者様のご負担にならない程度に、続きを楽しみに待たせていただきます。
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プロフィール

基森

Author:基森
蚕鳴や円禍と名乗ってたこともあります。

主に小説・ssなどを置いているブログです。

自前の本棚を持つのは初めてなので手探りでやっている程度のものですが、わずかばかりの暇つぶしにでもなれば幸いです。


メールは「kulukku106☆yahoo.co.jp」まで、☆を@に変えた上でお願いいたします。

そろそろ、非営利にならトップへのリンクフリーとか言ってみたり。

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